時代は空前の将棋ブームである。2017年には中学生でプロとなった藤井蒼汰棋士が公式戦で29連勝、このおかけで加藤一二三棋士が引退したが芸能界デビュー、羽生善治棋士が永世7冠を達成、創刊60年の老舗婦人誌「家庭画報」が2018年1月号で初心者向けの紙の将棋盤と駒を付録にし書店で完売が続出している。
 さて本著「理想を現実にする力」の著者である佐藤天彦棋士は、2016年第74期名人戦にて羽生善治棋士を破り、史上4番目の若さの20歳代で名人位を獲得した。将棋界400年の歴史の中で名人位についた棋士は、たったの26人だけである。「将棋の神に選ばれた者だけが名人になれる」とは至言である。
 将棋界は、名人挑戦者となるための長い長い順位戦での戦いを経なければ挑戦者にもなれない世界である。「将棋は逆転のゲーム」といわれる。常に盤上に集中して深い読みに入っていくことしか勝てない世界だ。かつて升田幸三棋士が「この幸三、名人に香を引くまで帰らん」と母の使う物差しの裏に書いて家を出たという逸話もある。
 佐藤名人も、子供のころの憧れであり夢であった名人を目指し、理想を追いもとめていたに違いない。名人も、こう語っている。
 手の届かないほどの究極の理想は、まずは手の届く現実の姿に変換していく。それがファンタジーのような夢をたぐり寄せる第一歩であると思っています。
 このように、理想を追い求めるというのは現実的な考えを捨て去って無茶な夢を追いかけることではありません。理想論はどこまで行っても理想論に過ぎませんし、大言壮語は言うは易し、です。
 将棋はオープンソースの世界でもある。対局の記録である棋譜は、対局者同士が作る作品であるが、その際の新手は翌日には研究されて対策が講じられてしまう。羽生善治棋士が予想した2015年にはAIがプロ棋士を既に負かせている。しかし対局者が作り出すタイトル戦という物語は残るであろう。

理想を現実にする力 (朝日新書)
佐藤天彦
朝日新聞出版
2017-04-13


目次
【第1章】すべては理想を持つことからはじまる
・自分がどんな物語をつくるか?
・高い理想ほど現実的に逆算する
・理想の将棋、理想の一手
・ストップをかけようとする心を疑う
・自分の特性にこだわりすぎない
・安全策がリスクになることがある
・まずは一つの得意分野を究める
・考え方はオールラウンダーの姿勢で
・憧れや尊敬の気持ちは原動力になる
・「選択肢の地図」で感覚を養う
●貴族のコラム1――自分らしくいられる“貴族"服

【第2章】劣勢をはね返す逆転の心がまえ
・将棋は逆転のゲーム
・モチベーションが下がったときこそ大博打
・名人戦での羽生名人詰み逃しの真相
・将棋には必殺の一手はない
・大事なのは局面を複雑化させること
・地道な種まきをしながら機を見抜く
・どうすれば過去を引きずらなくなるのか
・勝つためには「勝ちたい気持ち」から離れる
・たとえボロボロになって負けても
●貴族のコラム2――クラシック音楽でモチベーションを上げる

【第3章】奨励会を生き抜くということ
・小学生時代から勝負に明け暮れる
・幸せになるには強くなるしかなかった
・人生の大博打
・盤上で頼れるのは自分だけ
・「悔しい」気持ちになるのは余裕があるから
・将棋界以外の世界も知りたい
・なぜフリークラス入りを見送ったのか
・プロ棋士になるだけが人生ではない
・相手を蹴落として勝つことの重み
・感情だけではいつか決壊する
・自分は彼ほど将棋が好きなのか
・重たかった奨励会ではあるけれど
●貴族のコラム3――勘とは積み重ねた経験のこと
●貴族のコラム4――時間をかけて直感の正しさに気づく

【第4章】名人を生んだ低迷期の過ごし方
・結果が出なかったときに考えていたこと
・途方もなく大変な順位戦
・悔しい結果でも、現実に起こることには妥当性がある
・目先の勝利にとらわれず、長期的な視点を持つ
・棋譜の中に英雄の姿を見る
・土台を固めて初めて個性を発揮できる
・若手棋士同士の争いに後れをとる
・何かの役に立っているという実感を持つ
・自分の努力のリターンは求めない
・方針の転換は妥協ではない
・尊敬する棋士からの叱咤で奮起する
●貴族のコラム5――私の将棋ごはんと幸せについて

【第5章】勝負は感情で決まる─天彦流メンタル訓練法
・棋士は心を整えることが多い職業
・感情のままに物事を決断しない
・自分の心の弱さを認める
・必要以上に自分を責めなくていい
・強い精神力よりも“状況づくり"が重要
・「彼に負けたのなら仕方がない」と思われるように
・マイナスの感情には論理的思考で対抗
・自分にも他者にも「公平な視点」を心がける
・自然体でいれば、批判も受け入れられる
・勝負を「楽しむ」視点を持つ
・「幸せ装置」をたくさん用意する
・人生を俯瞰する視点を持つ
●貴族のコラム6――理想の家具と青い鳥

【第6章】コンピューターとの対決
・名人対コンピューターの意味
・負けるのは仕方がない?
・「強さ」だけを比較するのはナンセンス
・ソフトと人間は何が違うのか
・応援してくれるファンをがっかりさせないために